2006年度「Do Gang !?」
掲出日
執 筆 者
2006年03月05日
2006年03月05日
※会役職、所属先・役職は2006年度の役職です。
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『誇りの持てる仕事に感謝』
元気な熊本づくり委員会 副委員長 竹本 達矢
株式会社 エクステリア相良
皆始めまして。総務委員会の吉岡副委員長からず〜と前に「どぎゃん」ご指名を頂いておりましたが相変わらず筆が走らず只今やっとのことでアップさせていただきました。元気な熊本づくり委員会の竹本 達矢です。

くまもと21の会に席を置くことになってもう6年目ですが、まだまだ精神的に若いのでしょう。金村会長のもと湯田委員長率いる「元気な熊本づくり委員会」に属し今自分のやれることを受け持っていますが・・・委員会には凄腕が揃っており頭角を現すにはまだまだ・・・な今日この頃です。

そんな中「竹本は目立ちたがり屋」と思ってらっしゃる方が多いと思いますが、実は小心者です〜ただ司会だとか人前で何かする場面に出くわした場合こう考えます。「なに!また成長できる場がもらえるの?やらなきゃ損でしょう〜」「させて頂きます!!」と思考が廻っています。ホント素直に。あんなことやこんなことまで出来る・・・このチャンスが他に廻ってしまうと相当なショックを受けているんですよ。出し切りたいんですね。「中途半端が嫌いなのでトコトン書きませんでした」が「どぎゃん」延期の理由?と捕らえないで下さいませ。悪しからず・・・

 では営んでいる商売について少々書き込みたいと思います。くまもと21の会では仕事の話をあまりしないほうですので上手く文章に出来るかわかりませんが記します。

商いは両親が築いた潟Gクステリア.相良という会社を営んでおり、取り扱っているモノは「お庭」です。一言でお庭といっても何処から何処までがお庭?と明確ではありませんよね。たとえば車を停める車庫・道路からお客様を迎え入れる門そしてアプローチ・外から住居を守る塀・お花のきれいな庭などを総称してこう云います。「エクステリア」と。

最近定着してきた車の外装をエクステリアと云われ始めやっと市場に認知され始めた「市場性の狭く」しかし「深い」?そんな業界を走り回っていますが、基本的には性格なのでしょうか?私が実家に帰ってきてすぐ下請けはやめました。今後するつもりもありません。我々の商売は建設業です。よく聞かれる下請けや孫請けなど「日本の産業構造だから仕方のないこと」だとも理解していますが、<ただ作る作業>と<景気に左右される売上>は金輪際接したくないが本音です。一般のお客様と直接お付き合い出来る元請けとしてのこの商売に遣り甲斐をもっています。と言い切れます。

一軒一軒「敷地」も「建物」も「住まうお客様」も違う状況で売上だけを求めた量産は不可能です。もちろん仕組みは出来るでしょう。ですが外構・ガーデンはそうはいきません。構造の主体が「コンクリート」と「樹木」なのです。これ両方とも生モノです。

良くも悪くも出来上がれば20年以上はそのままの作品で地域に残ります。もちろんそこにはお客様が住んでいます。売るのは我々でも創るのは職人。職人の量産はできません。そこに住む方の使い勝手を矯正することも不可能でしょう。
となれば作り手の我々が「高度な技術」とそこに住まう方々とのコミュニケーションを通し「使い勝手を見定める」それから初めてプランニングしていく事の重要性が見えてきませんか?我々はデザイナーではないのです。あくまで「使い勝手を考え抜き」「安全性の保証」ができ「お庭のローメンテナンス」を形にしていく専門職が集まった組織となるべきです。言われた事だけを何とかなるだろう〜でただ作る御用聞き業者が多いこと!残念ですが気持ちの入り方がよ〜く見えます。もちろん売上は大事なんですけどね。それだけでは納まらないでしょう。時代はもう「質」の大量生産が始まっています。

何度も言いますが一軒一軒フルオーダーです。

お客様とお付き合いが生まれご利益を頂きそして相良専門集団の施工作品になりお客様へご利益をお返しする。そんな商売に売上ばかりを望めない小売な建設業を営んでいるが現状です。とくに感謝するのは気の抜けないフルオーダーな現状で相良の若手スタッフがよく就いてきてくれる。私はなんとも有り難い立場なことでしょうね。大いに走り回れるのもみんなのお陰です。有難う。*いつも引きずりまわしているので、見られないここで感謝しときます。謝*
近い目標で申しますと「熊本地域で3店舗」手段として活動しています。気を締めていますが「もうそろそろ行こうか!!」とどうせやるならスタッフ全員で大いに冒険すべきでしょう〜が私の持論ですが、スタッフは捨て駒ではなく財産と思えて仕方ありませんので、もう少しの成長にケツを叩いている状況です。焦らず一歩一歩ですよね。

もちろん長期的な夢も存在します。「この人だけは捨て置けない師」と呼べる方がいます。将来この方と組み私がいるこのエクステリア業界にメスを入れるべく共に全国で活動しています。活動といってもまだまだコンセンサスを図っているだけですが、いつ呼ばれても行ける状況としくみを創ることが日々の活動目的となっていますね。今お付き合いさせていただいている皆様には申し訳ない言葉となっているのかな?スミマセン〜

--- My Hobby! -----------------

2年前から始めたギター:レスポール高かったけどいいね〜
毎日飽きもせず眺めてにやついてます〜






大学時代から続けているサーフィン。やめられませんな!
今では2ヶ月に一回?自然環境相手です。GOODな波と休みは気まぐれ。仕方ありませんよね。一生サーファーな人生です。



エンジニヤブーツの出張メンテナンス。
単車乗り回すにはやはりこれ!キャロル・クールス・矢沢をこよなく愛す私の宝物です。愛車オールドスクールショベル<ハーレー>はひ・み・つ!

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自分の立ち位置とくまもと21の会のポジション。まだまだ可能性を信じて活動していきたいが今の気持ちであり・・・やること一杯ですね。

最後に売りトークとなってしまうんですが、くまもと21の会の理念「地域社会に貢献する志のある者」とあります。
・・・己の枠を知り大好きな熊本でやれることといったら「熊本地域で住環境つくりに余念のない此処一点に張り切る相良」は理念が一致します。

なんともまとまりのない文章で恐縮ですが一読願いたく思います。竹本の活動がもっと知りたい?方は相良ホームページからブログを拝見されてくださいませ。
http://www.pro-sagara.co.jp

これ以上の言魂を持ち合わせていないので、これぐらいにしておきます〜車馬駄馬な竹本っした〜
次の指名は・・・・同元気メンバー副委員長 塩津の兄貴に謳ってもらいましょう〜あれ書いたっけ?

2006年09月26日

『熊本が好き!』
総務委員会 副委員長 吉岡 隆徳
エム・イーシステム株式会社 熊本営業所 
皆様お疲れ様です。

吉岡は知っていても、私のいるエム・イーシステム株式会社はご存じない方が多いと思いますので、まずは簡単な紹介です。

私の会社は半導体製造装置等を設計・製造しております。本社でメカの設計をして、私が自動化のための電気回路設計とソフト設計を行っています。というなんだか説明の難しい仕事です。他にもネギの皮むき機や大分大学と共同でリハビリ装置を開発したりもしています。

私の本職は電子回路設計で、FPGAというLSIの中身を設計したり、大型機械の制御盤や手のひらサイズのマイコン基板を設計したりしていますが、外ではソフトをやってることが多いので、ほとんどの方はIT系の人間(ソフト屋)だと思ってらっしゃいます。

私は阿蘇に生まれました。田舎でしたので、高校になって熊本市内に出てきたときのカルチャーショックは正直大きいものでした。なんせ登山道路の入り口付近に住んで育ったのでメジャーな遊びと言えば「秘密基地」ぐらいしか知りませんでしたから。

田舎者ではありましたが小・中学生時にヤマハの教室に通っていたので高校一年までは学校の音楽の先生になろうと思っていました。父親が歯科技工士をやっていたので高校二年生で歯科医志望へ転向。そして、高校三年生の時にふとしたことで友達から預かったポケコンのせいで人生が大きく変わることになりました。世の中いずれコンピュータだらけになるという確信がありました。初めてプログラムしたのは「ヘロンの公式」でした。よく覚えています。

当時は電子計算機の専門学校が熊本にはありませんでしたので北九州まで行きました。バブルで1人の卒業生に7〜10社ぐらい求人がくる時代でしたから、私も一番条件の良い東京の会社に行く予定でいました。

ところが卒業前のある日、父親が学校の寮へひょっこりやってきました。仕事で小倉に来ていたようです。一緒に夕食を食べに出ましたが、そのとき「熊本に就職してくれ」と言われました。もちろん快諾しました。田舎物の私には東京で働くことは給与以外にメリットを見いだせませんでしたので(笑)

とういことで、熊本の電子機器会社に入社できた私は、ソフトしかできなかったので、当初は事務所で日報処理などをさせられていました。専務が開発課を立ち上げするに当たり、ソフトのできる人間を招集したことからやっと現場に入ることができました。専務は技術的にも人間的にも優れた方で私をスパルタ教育してくれました。今ではほとんど死滅した「スポ根」スタイルでです。私もよくついていったと思います。

専務には電子回路技術も教わりました。それが今の本業になっています。家庭の事情でその会社を辞めましたが、20人いた同期も辞めるときには2人になっていました。かなり技術的に大変な仕事でもありました。

その後、いろいろな紆余曲折有り、現在に至っています。いろんな経験をさせていただきました。電力の配電制御や鉄道の制御、半導体製造装置の設計。今ではインターネットのサーバまで立てています。

※プチ自慢:過去に熊本県が出した「キラリと光る熊本の技術」とかいう本に私の設計した製品が6点ほど出ています。それぞれ掲載している会社は違いますが、私がその会社で、あるいは外注として自身で設計した物です。

過去も現在も、ほとんどは県外の仕事で、熊本で自分の技術をなかなか生かせていません。

では、熊本にいなかった方がよいのかと聞かれると、間違いなく熊本でよかったと答えます。理由は簡単です。好きだからです。特に生まれ故郷だからというのでもなく、ここで多くの貴重な出逢いと体験をさせていただいたからかもしれません。たくさんのおかげさまで仕事も確保でき十分食べていけます。会社をもっと大きくしたいとはいつも考えていますが、熊本を離れる必用はありません。
※ビル・ゲイツぐらいになったらその時にいろいろ考えます^^;)

私のプライベートな話も少し。忙しい今では趣味は1/43ミニカーのコレクションです。家内に内緒で集めています。Yahooオークションといつもにらめっこです。車のメカが好きです。その昔、ガソリン3級整備士の試験にも通りました。以前は毎週のように波止釣りに行っておりました。スポーツなら野球とサッカー、モトクロスバイクです。ガーデニングに...
http://www-ku.magma.ne.jp/~yocch/
↑紹介しきれませんので詳しくはこちらで。

家内とは出逢ってから13年目にゴールイン、子供は娘と息子が1人ずつ。私の母親と同居でにぎやかです。


くまもと21の会に参加させていただいたことで多くのことを学ばせていただいております。いろいろなお付き合いの中で私の持っている技術や経験を提供したり、皆様のお力を借りたりしながらこれからも熊本の発展に寄与して参りたいと思います。

あっもうひとつ。うちの本社は大分ですが、長期の出張に行ってても、大分弁には感染しないようです。大分の本社の中で”ばってん”が連呼されています。そのくらい熊本弁が好きです。

万歳!熊本!!! えっと〜 次は元気な熊本づくり委員会副委員長の竹本達矢さんお願いしますぅ。
2006年03月05日



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